震災から1年の4月末、崩壊寸前だった老舗旅館『なかむらや』は完全復活した。「これから500年は大丈夫ですよ」という三浦さんの一言に、女将さんは「これで“なかむらや”の歴史をまた残していくことが出来ると思うと、三浦さんには『ありがとうございました』という言葉しか出なかったです」と感謝する。「どんなことがあっても3階は潰さないで欲しい。何とかこのままの姿で復元したい。そんな私の思いが、三浦さんの心も突き動かしたのか知れません。本当に三浦工匠店は、ウチの仕事で採算が取れたのでしょうかね」と控えめに微笑み(筆者に)聞き返してきた。「どこの方も、私のインタビューの際には聞かれる言葉です」とさり気なく答えた。
(写真=7代目当主と打ち合わせをする三浦社長)
なかむらやの正面には、“なかむらや”の湯治客の賑やかな話し声が聞こえてきそうな「大福帳」、歴史と時を今も刻み続ける「大時計」、そして歴代の当主や女将さんが座った「番台」、江戸から明治、そして大正・昭和の良き時代を偲ばせる客間、旧館と新館を結ぶ廊下には、時が止まったかのような、その時代にタイムスリップしたかのような空間が広がる。 その時代をこれからも引き継ぐ7代目当主の阿部さんは、改修が終わっても三浦さんから手入れ方法やリフォームの“いろは”を学び、館内の隅々まで手入れに余念がない。「改修前より、ケヤキの廊下や階段、客室がビカビカになって『三浦工匠店の10番目くらいの弟子にして欲しいくらいです』と冗談も飛び交い、老舗旅館復活の“のろし”を肌で感じている様子だった。同じ震災で廃業に追い込まれた福島駅東口の「竹屋」旅館。その遺品となった「引き戸」や「簾」が、復元を果たした「なかむらや」で息を吹き替えした。多くの「思い」「想い」「重い」を心に秘めながら新たなスタートを切った「なかむらや」である。
(写真=暖簾と蔵の障子戸)
「なかむらやの“復興の柱”ですよ!」と言ってしっかりと両手を合わせた女将さん。正面玄関の真新しい「柱」3本と梁1本がそれである。来客はこれが修復した柱と梁だと気づく人はほとんどいない。この3本の柱と梁を『復興の柱』と呼ぶ女将さん。「この柱で80トンの重力が支えられるんですよ。見ているだけで元気が貰えるんじゃないですか。ピンチをチャンスに変えてくれた職人さん達の思いがこもったこの建物を大事にして、前に進むだけです」と、更に新たな500年に向かって進み始めた女将さんの最後の一言が心に響きました。
(聞き手/建設メディア・富田)