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令和2年6月25日更新
●信夫山「六供集落」の“お宮群改修”が終わりました
当社は、2018年11月にNPO法人「ストリートふくしま」と「ふくしま未来研究所」が福島市のシンボル信夫山の羽黒神社旧参道『御神坂』に山を遊び尽くすーを掲げた“御神坂広場”の建設構想「信夫山再生計画」を発表しました。(写真下=2018年11月撮影時)
その一環で、御神坂にある「六供集落・お宮整備」の改修工事を請負、今年の3月末までに牛頭天王宮、金毘羅宮、菅谷不動、一ノ宮明神、三宝荒神、大鳥居の修復を完了しましたのでご紹介します。
少しだけ「六供集落」の歴史についてご紹介します。
第29代欽明(きんめい)天皇(510~571)の 時代,第一皇子を次期天皇にしようとする皇后と第二皇子を推す天皇が争った際、第一皇子が破れて、この信夫山に六人の供(とも) を従え、後にこの地を修験場として開いたと言われています。その“六人の供”が住み着いた所が現在の六供 (部落) 集落です。また、皇后は七人の官女とともに皇子の後を追ってこの信夫山の麓に住んだといいます。記録にはありませんが、伝説として地元では深く事実として伝えられています。(=北の杜文庫「おもしろヒストリ2」から引用)
信夫山には山岳信仰にまつわるロマンに富んだ数多くの伝説や記録があります。ぜひ、一度は“日本一の大わらじ”が奉納されている羽黒神社をめざして旧参道を登ってみては如何でしょうか。途中々に改修が終わった“お宮群”が出迎えてくれます。
令和2年6月16日更新
●『花の写真館』現場の当社マドンナをご紹介します
当社は、コロナの影響で工事を一時中断しておりました福島市の指定有形文化財「花の写真館」を5月中旬から再開しました。
今回は、当現場で男性に混じって、今や現場の即戦力、ムードメーカーとして無くてはならない存在となった女性を紹介します。
当社との「ご縁」は、当社会長である三浦藤夫と奥様が昨年5月、会津田島町の老舗旅館に一泊された折り、実家に里帰りしていた佐藤和恵さんと古民家や文化建造物等で意気投合したことがすべての始まりとなりました。
木の温もりが好き、無垢材の肌触りが好き、木を加工するのが好き等の条件を当社の三浦会長が見逃すはずはなく「ぜひ,当社で働いて見ませんか?」との誘いーを断ることの無かった佐藤さんは即、福島市に転勤中のご主人に了解を得、現場で働くことにー。
ちょうど、当社では福島市の安藤組から協力施工の依頼を受けたことから、佐藤さんは花の写真館の解体修理の担当となり現場入りとなりました。
その後は、男性ばかりの現場ではマドンナ的存在としてはもちろん、現場の融和にも欠かせない存在となりました。そもそも彼女の実家である老舗旅館も有形文化財であることから、子供の頃から古い建物や木工に興味を抱いていたと言います。彼女は常日頃から「“女性だから出来ない”というのは嫌です」と言っていますが、言葉通り、男性に混じって同等の事を熟しています。三浦会長は「大工にも女性を育てることが課題」と口癖に言っていましたが、期待通り現場で能力を発揮しています。
4月には福島市の福島コミュニティー放送“FMポコ”にも会長と出演しました。特に「物づくりや古い建物を遺すことの大切さ」について話しをしたそうですが「歴史的な建造物を壊すことは、そのマチから歴史を消すのと同じだ」と言うことを、会長と熱く語ってきたと話していました。
当社では協力施工した部分の工事は会社一丸となって中断期をカバーしながら10月完成を目指しています。全体完成は来年1月の予定です。次回は花の写真館の施工中の現場を紹介します。
令和2年3月18日更新
●古民家再生工事が完成した「T邸」を紹介します
当社は福島市森合の信夫山裾野に、昨年5月から工事を進めていました古民家再生工事「T邸」が12月末に完成しましたのでご紹介致します。
同邸は昭和6年に当時の優れた匠の技術と和風様式で建築された“築90年”の古民家です。長い間、空き家となっていましたが、日本古来の伝統建築と周辺の環境に魅せられた建築主のT様から再生のご依頼を受けました。設計を担当しました有限会社鈴木設計(鈴木勇人社長)さん、建築主さんとの打ち合わせの結果、“数寄屋風造り”の古民家再生工事として請け負わせて戴きました。
工事の陣頭指揮を執りました当社社長の三浦慶顕は「建築技術力の高さと建築資材の良さは目を見張るばかりで貴重な体験をさせて頂いた“と話しています。特に内部はこれまでの「域」を越えた仕上がりですが、興味を持たれた方には当社で詳細にご説明をさせて頂きますのでご連絡ください。
当家に残されてあった「銘板」によりますと、“昭和6年10月15日上棟?同年12月竣工”とありましたが、現在では2ヶ月で上棟から竣工を成し遂げる事は不可能だと思いますが、真相は分かりませんでした。また、建て主=長尾松三郎、棟梁=藤堂廣吉。仕事師=坂井吉太郎、世話役=渡邉孝治朗の名があり、それぞれの役割分担があった事が伺えます。当家の西側は「信夫山・月山神社山道入口」で古くから月山、湯殿山に向かって参詣する南登山口(養山口)でした。
傍らには1691年(元禄4年)に立てられた庚申塔や不動尊が祀られています。信夫山には「六供集落」が現存し信仰の歴史を伝えていますが、当家が羽黒神社等を目指す“山伏”達等が常宿として(関所の役割もあった?) 立ち寄り、身を清め、“月山、湯殿山、羽黒山”を目指したのではないかと言われています。当社会長の三浦藤夫も今回の古民家再生工事について「歴史ある建造物を遺す大切さを目の当たりにし、大変満足している」と話しています。
■ 規模は木造平屋建て130平方メートル。
■ 建設地は福島市森合字西養山地内。
令和2年2月6日更新
●有形文化財・大谷家住宅群改修の『蔵』完成
当社は、国の登録有形文化財 (平成28年指定)である南相馬市鹿島区栃窪にある『大谷家住宅東蔵・中蔵・門』の修復を2年前から継続的に工事を行ってきましたが、このほど完成の運びとなりました。(写真下)
同家は浜街道と奥州街道を結ぶ塩の道)沿いに明治から昭和初期に物流の拠点となった豪商の舘として建築された建造物。蔵群は米蔵となった東蔵が建ち、土造2階建て建築面積45平方メートルからなり、酒や醤油を納めた中蔵となっています。こちらも土造2階建て建築面積54平方メートルからなり、屋根は鉄板葺きとなっています。
また、住宅群は、明治14年頃から随時建築された茅葺き木造建築物で、正門は間口2・6メートルの瓦葺き高麗門で142年前から地域の郵便局の出入り口として今なお、地域の人々に利用され親しまれています。
工事を当初から担当し、現在は当社社長である三浦慶顕は工事を終えて「福島県内から歴史ある建造物を後世に遺していくことは地元の“大工”にとって技術継承の上からも大変意義のある工事をお引き受け出来たと感じている、また、東日本大震災や今回の台風19号などの水害で多くの旧家や古民家が被害に遭っているので、困っているので少しでも力になりたい」と話しています。
当社は今後も一般住宅を手掛けながら県内を中心に歴史に遺る文化財級の古建造物の修復と保存に全力で取り組む所存です。古民家を始め旧家等古建造物の改修や修復の際はお気軽に当社へご相談ください。 (2020/2/6)